[連載小説]戦う法務課長 第37話「新人教育編(19)」

2014年3月19日|北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
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一昨年の労働組合による賃金交渉では、過去最高益を背景として、かつてないほどの賃金アップを果たした。というよりは、会社側が気前よくボーナスの増額に応じたのである。しかし、昨年は一転して、労働組合要求に対して「ゼロ回答」であった。つまり、賃金は据え置き、ボーナスについては、業績連動でみる、というのが会社回答であった。

この点は、交渉が妥結しておらず越年している。社員の生活設計もあるので、会社側は一時金というかたちで、昨年並みの金額を支給しているが、これはとても交渉次第では、返納の可能性もある、とのうわさがまことしやかに社内に流れている。

経営陣としても、いたずらにこうした風評が流れることは社員の士気、取引先との対応にも差し支えるということから、いわゆる「非常事態宣言」を発し、大幅なコスト削減の方針を打ち出した。

しかし、削減できるようなコストの金額はたかがしれている。コスト削減の錦の御旗に、残業代のカットや不要不急の出張の禁止、会議費、交際費の一定比率の削減が叫ばれたが、「特例」を求めるものも多く、結局、その効果は焼け石に水、といったところであった。

究極のコスト削減は人減らしであるが、さすがにそこまでを断行すると社内外に大きな不安を巻き起こすことが懸念され、何はともあれ、ミシマにとって、手元に資金を集めること、すなわち、手元の資金流動性を高めることが、最優先課題となったのである。

 

探りあい

 

定例の経営会議終了後、財務担当役員は管理部門担当専務に声をかけた。

「キロの部隊は頑張っているようですね」

それとなく進捗に探りを入れてきたのである。

「特に、法務部の若手が、かなりエネルギッシュに、融資債権の詳細をまとめる作業をしてくれているようで、感謝してますよ。我々、財務としては、残元本や金利など金に絡んだ部分はすぐ把握できるが、契約の細部についてなどは上手くまとめることはできませんからな」

「いやいや、とにかく本社の命運を握っているのはこのプロジェクトである、という認識が浸透しているんでしょう」

管理部門担当専務はさりげなく応えた。隼からは売却対象の融資債権の概要をまとめた「サマリーシート」がほぼ完成し、近日中に売却候補のクラインゲルドとの最初の交渉が行われる、と報告を受けている。

「どうやら、今日あたり、先方との第1回目の話し合いが行われるようですよ」

それも隼から聞いている。管理部門担当専務は、相手側との交渉にはすべて同席するように隼に指示している。財務部門は何かと極秘主義を貫き、実際のところ何をどう処理しているのか見えない部分がある。今回のミシマの状況を招いたのも,為替相場を利用した資金運用が失敗し、その損失の補填が主な原因である、という情報も耳に入ってきているが、確かなところはわからない。

「とにかく、目標達成にむけて、何とかやるしかないでしょうな。全社一丸となって」

管理部門担当専務は、陳腐でしょうがない、と思うような台詞しか出てこない自分になかば呆れながら、経営会議が行われた特別会議室をあとにした。

財務担当役員の様子からは、今回のプロジェクトにおける成否の責任を法務部に転嫁、とまではいかないまでも、社内での立場を「単独責任」から「共同責任」へ置き換えようとしている意図が見え隠れしている。彼らが、まだ何か「隠し球」を持っていることは容易に想像できる。「球」が「玉」ならよいが、「爆弾」ではないことを願うばかりだ。

 

前哨戦

 

隼は、乾と堺に、クラインゲルドとの交渉に参加するよう指示した。財務からは峰のみである。こうした極秘の交渉には、財務部門は、管理職でない者を同席させることはしないのがしきたりと言われている。

「相手との打ち合わせ前に言っておくけど、出てくる人間が日本人ではなかった場合、こちらが日本語で何を話しているかわからないだろうと思って、ひそひそ日本語で話すのは一応やめておこう」

堺は、その理由を尋ねた。

「こんな話がある。日本の会社から、東欧の片田舎に出張でやってきた二人のビジネスマンが、電車のコンパートメントのなかで、誰も日本語がわからないだろうと思い、上司の悪口から会社の問題点など大声で話し合っていた。目的地に到着する頃になり、コンパートメントの隅の席に座っていた老人が、日本語でこう呟いたそうだ。『壁に耳あり、障子に目あり』ってね。特に最近の外資系のインベストメントバンクにも、日本語能力の高い者が派遣されてきているとみたほうがいいね」

「そういえば、昔の我々の先輩たちのなかには、語学が堪能な方がたくさんいましたね」

峰が懐かしそうに話す。確かに、ミシマは中国、ロシア、ベトナム、タイ、ドイツ、ポーランドといった英語圏以外の特殊な言語の「達人」がたくさんいた。中には、会社を早期に退職して、コンサルティング会社を設立したり、その国に関連した書籍を上梓したりと、結構活躍している者もいる。

「隼さんも、昔、留学してませんでしたっけ」

「ま、その話は別の機会に」

クラインゲルドの東京支店は、オフィス街に新しく建てられた高層ビルの50階にある。一同は受付を通り、瀟洒な作りのミーティングルームに案内された。適度に温度管理されており、机や椅子の作りはいかにも値段が高そうに見える。驚いたのは、会議用のテーブルの各所にパソコンが利用できるように電源とLANケーブルが付設されていること、そして大きなスクリーンが壁一面にかけられていることだ。

「いったいこのスクリーンは何に使うんですかね」

堺がびっくりしたように尋ねた。

「これは、ビデオコンファレンス、つまりテレビ会議用ね。ほら、画面の上に小さいカメラがあるでしょう。ここで映像をとって、相手側の会議室の画面に映すようになっているの」

外資系出身である乾にとっては、見慣れた会議室である。出張で行ったり来たりするよりも、各拠点にこうした設備を備えることで、移動時間、コストを短縮しているのだ。最近の設備は、自然な映像を見ることができるので、それほど違和感はない。かつては、コマ送りのような映像しかみることができなかった。

「お待たせしました」

流暢な日本語でカール・ヒュッテルがミーティングルームに入ってきた。

「どうも、ようこそいらっしゃいました」

「随分と日本語がお上手ですね。どこで、学ばれたのですか?」

「ええ、7年ほど前に2年間、日本の会社で働いていました。その時に結構勉強しました」

乾は、こうした外国人をよく知っている。おそらく彼には複数の日本人のガールフレンドがいたのであろう。ひょっとしたら、その中の一人と結婚しているのかもしれない。女性から日本語を習うと、どうしても柔らかい日本語、つまり女性言葉になりがちだ。カールの話し振りは、まさにその部類に入る。

「それでは、日本語で会議もできるのですか?」

「いやいや、そこまでは流暢ではありません。今日の会議のミニッツ(議事録)も本社に送る必要があるため英語でお願いします」

カールは、ここから英語になった。かなり、明確な発音ではあるものの、かなりの早口で話すため、堺はついていくのがやっとだった。乾は、外資系にいたので当然だが、隼や峰も、何事もないような表情でカールの話を聞いている。

「ということは、もう少し詳細な情報が必要、ということですか」

峰が尋ねた。

「そのとおり。頂いたサマリーシートは大変参考になりました。しかし、実際の購入価格を決めるためには、さらに詳細な情報が必要で、できれば我々の作成したフォーマットにしたがって、その情報をまとめて頂けると、より早い判断が可能となります」

堺は、カールの発言をかろうじて聞き取っている。

「そのフォーマットは今日頂けるのですか?」

隼が尋ねた。フォーマットの内容次第では、さらに時間がかかるかもしれない。最終的に値決めにあたって、すべてを開示しなければならないものゆえ、出し惜しみをする気はないものの、売却にはタイミングがある。詳細な資料を提供した結果、駄目でした、ではまったく無駄な作業となってしまう。

Confidentiality Agreementも締結済みです。詳細情報の開示には問題はないと思いますが」

確かにそのとおりである。隼は峰をみて頷いた。

「了解です。なお、当社が現在までで提出している資料から、御社としてどの位の購入金額を予定されていますか?これは、コミットメント(約束)を確認するのではなく、あくまでも参考までに聞いておきたいのです」

峰の申し入れに対して、カールは難色を示した。まだ、こちらのバジェット(Budget、予算)をミシマに知られるわけにはいかない。

「それぞれの債権の内容に応じて、pricing(値決め)が必要となります。Bulk price(一括購入価格)ということであれば、単純に、融資債権残高の10%~20%ということになってしまいますが、それでは、ミシマとしてはお困りでしょう」

確かに、そうである。このプロジェクトは「叩き売り」ではないのだ。できるだけ、高く、早く売却せよ、というのが至上命令である。

「では、そのフォーマットを頂き、できるだけ早く価格交渉に入りましょう」

峰は、渋々応じた。

「それから、現段階で契約書等の原本は不要です。コピーで結構。しかし、クロージングの際には、必要となります」

カールは付け加えた。

「クラインゲルドは、今回の融資債権買取にあたり、どこか法律事務所を起用する予定ですか。それとも、クラインゲルド内部で処理されますか」

隼が尋ねた。

こうした融資債権の売却・買取については、大量の書類の作成が必要となる。外部の法律事務所を起用する場合もあれば、クラインゲルドのような規模の投資銀行であれば、自前の法務部隊があり、そこで処理される場合もある。

「もちろん、今回は多岐にわたる融資債権を早急に処理しなければいけないディール(取引)ですから、外部の法律事務所を起用します。すでに、サマリーシートを頂いた段階で、選定済みです」

「ちなみに、どちらの法律事務所ですか?」

隼は、なんとなく嫌な予感がしながらカールに聞いた。クラインゲルドが起用する法律事務所とはどこだろう。

「イギリスに拠点がある法律事務所です。日本にもブランチ(支店)がありますよ」

「例えば、ハーバート&モーリスですかね」

「よくご存知ですね。まさに、その事務所ですよ。今まで、アジアやロシア関連の債権の買取りをもっとも多く手がけてもらっています」

一同は、少なからず衝撃を受けた。ハーバート&モーリス東京事務所の田弁護士とは、先日打ち合わせをしたばかりである。確かに、そのときにはコンフリクト・チェックの結果までは出ていなかった。まさか、同じ事務所を起用するとはまったく予想していなかったのである。

 

調 整

 

「まさか、相手がハーバート&モーリスを起用しているとは予想していなかったですね」

峰が、残念そうに隼にいった。峰には十分わかっているのだ。こうした利害対立が生じてしまった以上、同じ法律事務所を起用し続けるわけにはいかないこと。および、こちらが先に相談したとしても、本拠地であるロンドンで仕事を請けてしまっている以上、事務所内のパワー・バランスによって、日本での依頼はキャンセルとなり、それを覆すだけの力も経済的な理由も東京事務所にいる田にはないことを、である。

「例えば、事務所内でファイアー・ウォールをしいて、情報が絶対に行き来しないようにすればよいのではないですか」

堺が尋ねた。

「でも、そうしたファイアー・ウォールが機能する、という保証はどこにもないね。また、経営陣が納得しないだろうね」

隼は、ポケットをまさぐった。いつものピース・ライトはそこにはない。あたりを見回したが自動販売機もなさそうなので、諦めた。しかし、ハーバート&モーリスの田および彼のチームのパワーは、今のミシマにとって必要だ。最悪、コンフリクト(利害対立)があるままで、本件を進めざるを得ないかもしれない。隼は、どうやって社内に田の起用を認めさせようかと考える一方、次善の策として、別の法律事務所の起用も考えはじめている。

「法律事務所によってパフォーマンスや能力って違うものなのでしょうか」

堺の質問に乾も頷いた。隼くらい弁護士人脈があれば、他にも有能な法律事務所を探し出すことは雑作もないことのはずだ。

「やっぱり、相性とかあるんですかね」

峰のコメントに隼は頷いた。

「ちょっと今後の方針を決める必要もありそうだから、少しどこかによっていかないか?」

隼の申し出に、一同頷いた。クラインゲルドの事務所がある赤坂は、飲食店が集中している通りがいくつもある。最近では、お洒落なカフェスタイルの店も多い。隼が向かったのは、溜池交差点近くのビルの裏手にある小料理屋だった。

「まだ、6時半くらいですけど,ひょっとしてここでっていうことは呑みながら話をするんですか?」峰が驚いた。

「幸い、この店は昔からあまり流行っていなくてね。小声で話す程度であれば、『秘密保持』の観点からもあまり問題はないよ。それに、ある程度リラックスしたほうが、いいアイディアが出るもんだよ」

乾以下、隼のこうした行動に慣れている。乾は、やれやれ、という表情をみせて隼を促した。

「じゃあ、早く入りましょう」

こうして、赤坂での夜が始まった。

その頃、田は成田空港へ向かっていた。別のクライアントからベトナムへの出張を依頼されたためだが、彼のブリーフケースにはロンドン行きのチケットも含まれている。ハノイからホーチミンへ回り、最後、ロンドンへ飛ぶ予定にしていた。

出張案件は、とある日本企業がベトナム企業と締結する合弁事業契約についての交渉が主な内容であるが、ほとんどの条件については交渉が終わっており、実はあまり田の出番はない。しかし、顧問先企業でもあり、そこの社長からたっての願い、ということで断りきれなかったのだ。

ただ、それが幸いした。田にとって、大きな変化をもたらすチャンスを得たのだ。

 

起 用

 

「法律事務所を起用する場合、いろいろな判断基準があるね。例えば、学生時代の友人であったり、顧問契約を締結していたり、依頼したい分野、例えば債権回収や不動産関連に経験が深いといったことなどさまざまだ」

隼は、早くも日本酒を小さな枡で注文しながら話をはじめた。

「能力っていうのは、個々の弁護士の場合と、法律事務所としてのものと両方考える必要がありますね」と乾。

堺は、自分と峰のために生ビールを注文しながら、どういうことですか、と尋ねた。

「だって、弁護士として優秀であることは、クライアントとして絶対に必要だけど、案件の内容によっては、事務所としてのキャパシティ(capacity)や能力も必要になってくる。例えば、MAや訴訟のときは、膨大なドキュメントや法律問題を一気に処理しなければいけないじゃない。そのためには、『手作業』するスタッフの優秀さも必要だと思う。例えば、どんなに会社法に詳しくたって、デューデリジェンスは一人じゃできない。だから、規模、いやむしろこちらが依頼する案件について、どれだけの十分な人数が配分できるか、しかも、コストが安く優秀な人員をどうコーディネートできるか、という点もクライアントとして知りたいところだと思う」

「すると、最近、法律事務所が100人、200人と人数を増やしているのはそういう背景があるからなんですね」

峰は感心すると同時に、生ビールをあおった。かなりの呑みっぷりだ。呑むんだったら徹底的に、というのが峰のポリシーだ。

「でも、今回の件はどうしますか?ハーバート&モーリスの田先生には、すでに本件を相談しているんでしょう。それから、おそらくロンドンのほうから田先生に何か指示がきているんじゃないでしょうか」

堺の発言は、まことに的を射たものだった。隼は、枡酒を口に含み、それから、烏賊の沖漬に箸をのばした。

「そうなんだよなぁ。彼が使えない、となると、ちょっと困ってしまうんだよ。クラインゲルドが世界規模でこうした事業を展開していることを考えると、ミシマのために、クラインゲルドからの依頼を断ることは考えくい」

「となると、コンフリクトの状態をこちらも受け入れ、かつ、相手側も受け入れることが必要ですね」

峰は、大筋を理解している。乾も同感だ。

「いや、クラインゲルドは必ず田弁護士を本件から外すよう言ってくるはずだ。つまり、コンフリクト状態であったとしても、事実上、こちら側の陣営は骨抜きとなるようにね」

「そんなことまでしてくるんですか!」

堺が驚くのは無理もない。隼がロンドン時代に、あるエネルギー関係の案件で著名な事務所を起用しようと動いたが、相手側である石油開発会社は隼が懇意にしているパートナーやアソシエイト数名を、本件から外すように通告してきた。

ビジネスを進めていくうえで、弁護士起用が理由でブレイクすることができる状況ではなかったため、もう一度起用法律事務所を探し、どうにかこうにか手当てした苦い記憶がある。

「絶対とはいえないが、かなりの確率であるとみていいだろう」

代替の事務所はあるだろうか…。隼は、小料理屋に入る前に買ったピース・ライトに火をつけながら、思案した。(続)

 

(次回は324日更新予定です)

 


【バックナンバー】

36話「新人教育編(18)」

35話「新人教育編(17)」

34話「新人教育編16

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32話「新人教育編

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11話「債権回収編

10話「債権回収編

9話「企業買収編 交渉の帰結」

8話「企業買収編 再会」

7話「企業買収編 乾美和登場」

6話「契約交渉

5話「契約交渉

4話「契約交渉

3話「契約交渉

2話「契約内容の検討」

1話「契約作成の依頼」

北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役

きたじま・たかゆき
ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
87年早稲田大学法学部卒業、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)入社。ロンドン駐在、同社法務部部長補佐を務めた後、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社法務部ディレクターを経て、06年ユニリーバ・ジャパン株式会社入社。12年4月より現職。國學院大學非常勤講師(国際取引法)。

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