[連載小説]戦う法務課長 第38話「新人教育編(20)」

2014年4月03日|北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
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意 気

 

隼が、まだ入社5年にも満たないころ、中南米の某国公社へのファイナンス案件の法務担当となった。当時は、組織変更等の関係で直属の上司がおらず、管理部長が隼の所属する課の課長を兼務となっていた。当然、兼務であるので、日々の業務についてあまり相談できるような時間をとってもらえない。社内では、隼のような若い担当者のみで対応することを心配する声もあった。しかし、管理部長は隼を全面的に信頼した。隼は、一つ一つ、手探りで、融資案件の枠組み、特にミシマにとって必要不可欠な担保のメカニズムをこれでもか、というほど精緻に構築していったのである。

ろくに家に帰れない日が続いた。まだ、電子メールや携帯のない時代である。時差の関係で駐在員が毎晩送ってくるFAXのレポートに対して、東京の営業部と弁護士、そして隼が缶詰状態で内容を検討し、現地が開ける前に指示や回答を出す必要があった。法務としてのコメントに少しでも不明瞭なところがあれば、営業の課長に怒鳴られ、駐在員からは叱責のテレックスが送られてきた。

ある日、ミシマの起用している米系の法律事務所の弁護士が、交渉の大詰めまできた契約書に対する隼の作成したコメントに対して、「Perfect」と賞賛し、そのコメントを使用して、相手側との交渉を行い、見事にミシマ有利の契約条件に落ち着くことができた。営業課長は、現地での調印式に隼を連れて行く、と言ってくれたが、たまたま大阪での倒産事件の処理のため、その「ご褒美出張」はかなわなかった。

隼は、このとき自分が一皮向けた、と強く思ったことを記憶している。法務マンとしてのレベルが一段階上がったような気がした。

今のチームの若手にも、同じような感動を経験してもらいたい…。隼は,このプロジェクトへの取り組みを通じて、乾、湊、堺が大きく今までの自分の「限界」からはみ出ることを期待している。また、そうした機会を設けることが自分の役割だ、と強く感じている。

危機的状況になれば、結束が固まり、また集中して物事にあたることができ、自然と考えるスピードもあがってくるものだ。

 

看 板

 

相変わらずの混雑に田はげんなりとしていた。ロンドンでの生活を大いにエンジョイした田ではあるが、ヒースロー空港の入国カウンターでの長蛇の列と対応の悪さ、そして市内までの渋滞だけはどうしても我慢ができない。

いわゆる箱型のブラックキャブは、どうにも乗り心地が悪い。田は、英国滞在時代に利用したミニキャブ(注:日本のハイヤー会社に相当)を、入国手続で待たされている間に呼び出した。そのミニキャブの会社は、空港とシティの中間地点に位置しており、入国手続が終わる頃には指定の場所に到着している予定である。

ようやく、入国手続が終わり、所定の場所に行くと、顔なじみのドライバーが笑顔で田のことを迎えた。田は行き先を告げると、携帯電話でハーバート&モーリスのパートナーを呼び出した。

――もう着いたのか。

「ああ、そちらへ向かっている。昨日、送ったメールは見てもらえたかい」

――ああ。でも、考え直す気はないのか…。

「ないね。すでに、クライド、ケイン&パートナーズには、内々に話をしてある。彼らは乗り気だったよ」

――リチャードはがっかりするだろうな…。

「彼には入所以来、世話になりっぱなしだ。心苦しいところはあるが、でも、ハーバート&モーリスも一連の流れのなかで大きく変わってきている。人が集まり、散じるというのは、仕方のないことさ」

――日本人はもう少しウエットな民族だと思っていたがね。

「十分、ウエットさ。だから、こういうことになったんだ」

田は、電話を切ると、しばらくの間目を閉じた。今頃、東京では隼がやきもきしているだろう。電話をかけようと携帯を手にしたが、また鞄のなかにしまいこんだ。すべてがはっきり決まるまでは、連絡は止めておこう。

 

横 槍

 

「カール。ミシマとの交渉の進捗はどうかね」

カールの上司であるクラウス・シュナイダーは、会議室に入るなり、上着を脱いで、コンビニで買ってきた握り飯を口にほおばりながら尋ねた。

クラウスは、カールの前にクラインゲルドの日本支店に勤務し、大きく利益を伸ばした功績を認められて本社の資金運用担当の役員に抜擢された。カールとは旧知の間柄であったが、出世でははるかにクラウスが先を行っている。

「現在、査定を行っているところだ。ミシマの持つ債権は、確かにユニークなものが多いね」

「で、予算の範囲内におさまりそうかい?」

当然、予算を超えることは認められない。この手の質問は、「愚問」に類するもので、たわいもない会話に過ぎない。クラウスもカールもそのことはよくわかっていた。カールは、その質問には答えず、気になっていた点を切り出した。

「昨日、ある事業会社の代理人という男がやってきてね」

その男は、神幸助と名乗っていた。日本とニューヨーク州の弁護士資格を持っているらしい。神がいうには、クラインゲルドがミシマから買い上げる債権のうち、ある一部の会社向けの債権を譲って欲しい、というものだった。

「いったい、どこの会社向けの債権だい?」

カールがあげた名前を聞いて、クラウスは顔をしかめた。その会社はインドネシアでは悪名高い事業会社で、これまで欧米および日本の会社がかなりの取引を行ってきたが、アジア通貨危機を境に、その支払いぶりが悪くなった。各社は、事業会社に訴訟を提起するも裁判では敗訴が続き、実質手が出せない状況になっている。インドネシアの司法環境は、外国の会社にとってはまだまだ「厳しい」状況にある。

「その会社、仮にX社としておこうか。X社の代理人が言うには、クラインゲルドは、ミシマからそのX社の債権も含めてできるだけ安く購入するのだろうから、クラインゲルドのX社向けの債権の評価額に20%を上乗せした金額で買いたい、というものだった」

「ふむ。カール、もしX社の債権を購入するとしたら、その査定金額はどのくらいだ?」

「まぁ相手が相手だ。ミシマも訴訟を提起しているが、第2審でも敗訴している。当然、彼らは上告はしてるがね。係争中でケチのついている債権だから、せいぜい評価しても額面金額の3%がいいところじゃないかと思う。いやただで引き取ることになるだろう。」

クラウスは、4つめの握り飯を口に入れた。彼はドイツ人にもかかわらず辛いものが好きだ。ことのほか、明太子入りのものがお気に入りだ。

「その神という代理人に一度会ってみようか?カールが3%しか値付けしないものは、バルクで処分せざるを得ないものだろう。それが、20%の値がつく、ということは、少しでもカネになる、ということだからね。」

「いや、彼はX社の代理人ではないよ。最近、勢いを増している米系の投資ファンドの一員らしい。どこのファンドとは言っていなかったがね」

「面白そうじゃないか?」

カールは、クラウスの考えには賛成だ。確かにX社の債権は不良、塩漬けといわれても仕方のないものだ。査定は厳しくならざるを得ない。しかし、融資先ごとのブリーフィング(説明)を受けた際、法務のマネージャーの説明にひっかかるものがあった。彼は妙に自信があった。現実にどこまで回収できるかは別にして、第三審である最高裁では十分に勝訴する可能性があり、勝訴すれば、なんとでも方法はある、という口ぶりだった。

X社については、ミシマでも気になる話を聞いたよ。彼らは、勝訴に関しては自信があるようだった」

「それじゃ、その神、というのに会ってから、『お客様』にもご挨拶しようかね」

カールは、秘書に神とミシマの双方にアポイントメントをとるよう指示をした。

 

暗 躍

 

隼は、朝から忙しかった。早朝から会議が立て続けに3件。いずれも、後ろ向きの話だ。その後、所属している法律研究会の事務局から、セミナーの講師を依頼されたが、スケジュールが合わないのと、どうにもその気になれず、断るのに1時間電話で話をした。事務局は、食い下がり、ついに乾を隼のかわりに出す、ということで折りあいがついた。その後、目を通さなければいけない決裁申請書が30件程。隼がようやく一息ついたのは、夕方の6時頃であった。

ここのところ、慢性的な睡眠不足で体の疲れがとれない。あまりにも疲れすぎると酒量が減る、ということを隼はこの年齢になって初めて体験した。呑めないのはつらいが、呑むともっとつらい。

「こういうのをジレンマっていうんだな」

独り言を言いながら書類を整理していると電話がなった。クラインゲルドからだ。すぐに会って話がしたい、という。

急な話ではあったが、何しろ相手が相手だ。隼は、峰が同席することを条件に面談に応じることにした。先方は、詳細については会ってから、という。こういうときは一人で会わないほうがいい。隼は、自分が法務の人間であることを自覚していた。法務の人間が、「法的見解」を問われた際に、不用意に答えることがビジネス上の不利益を招くこともある。ここは慎重に対応する必要がある。

30分後、カールとクラウスがミシマのオフィスに登場した。峰も同席している。

「お忙しいところすみません。是非とも、情報を頂きたいことがありまして…。今日は、上司も同席しています」

先日の自信たっぷりの態度はどこへいったのか、今日のカールは低姿勢である。

「どんな件でしょう」

峰と隼は、事前に打ち合わせを行い、ミーティングでの主たる発言者は峰、ということにした。

「実は、インドネシア向けの債権なのですが」

峰は、ああ、と思った。きっと査定の結果、値がつかない、というのだろう。

X社向けの債権です。先日のブリーフィングのとき、現在は係争中であるが、回収可能性は高い、と言ってましたね。その根拠をお伺いしたいのです」

「回収可能性が高いとは言っていません。が、訴訟に勝つ可能性は高いと思っています。そして、勝訴すれば、債務名義を得ることができますから、いろいろやりようはあります」

峰が、打ち合わせどおりに答えた。と同時に、隼の読みに驚いた。隼は、50%の確率で、インドネシアの特定の会社向けの債権で何か話があるに違いない、と推測していたからだ。

「ミシマとしては、この債権を売却対象に含めたのはなぜですか?」

「我々としては、回収が難しそうなものはそれなりの評価をしてもらって、さっさと処理したい、というのが本音です」

「ということは、時間をかければ回収可能金額はあがる、ということでしょうか?」

「おそらく、そちらは最低に評価をするでしょう。でも、放棄してしまうには勿体ない。我々は時間がないので、ここで断念せざるを得ない、ということです」

カールは、隼のほうを見ながら続けた。

「もし、最高裁まで行ったら勝てる可能性はありますか?」

隼は、一息ついてコメントをした。

「誰か、クラインゲルドが買い上げた債権を少し色をつけてでも買いたい、という人でも出てきたのですか?」

隼の言葉に、クラインゲルドの二人が一瞬凍りついた。まさか、この情報は誰にも知らせていないはず。なぜ、ミシマが投資ファンド代理人の神が登場してきたことを知っているのだろう!

「なぜ、そう思うのですか」

クラウスが尋ねた。

「いや、そんな気がしただけです。ミシマが債権を売却する、という話は、どんなに社内で箝口令をしいても、どこからかは漏れるもんです。ましてや、それが宿敵であるX社であればね」

「隼さん、どういうことです?」

峰には、このやりとりが全く理解できていない。

「では、実際に代理人が来たのですか?」

「いや、彼は投資ファンドの人間だ、と言ってました。ファンド自体は最近組成したらしいですがね」

「そのファンドにX社が関与しているかどうか調査してみましたか?」

カールとクラウスは、思わずしまった、という表情を露骨に見せてしまった。神の出した提案が金銭的に魅力的であったので、ついつい、そのバックに誰がいるのかまでは調査していなかった。また、神とのアポイントメントがとれず、先にミシマに来たのだ。そこで、ミシマとしての勝訴の可能性をもう一度確認してから、神との交渉に臨もうとしていた。勝訴可能性が高ければ、神が出した20%、という金額をもう少し上げら得るかもしれない、という色気もあったのだ。

「ということは、X社が背後にいる可能性があると…」

峰が反芻するように隼に尋ねた。

X社は、自分のコントロールが効くファンドでも会社でも通じて、債権の購入予定者であるクラインゲルドへ行き、X社の債権を少しだけ相場より高く買う、というプロポーザルを出したのだろうね。当然、クライン・ゲルトとしては、あのX社向けの債権はそうそう高い値段はつけないだろうから、クラインゲルドの査定価格の何割かを払っても、もともとの債権の額面金額よりははるかに安い」

つまり、X社は自分向けの債権を安く買い取ることで、債権そのものの消滅を目論んでいるのだろう、と隼は説明した。

「クラインゲルドが債権者であるとして、債務者から直接債権金額の1割程度にディスカウントしてくれ、と言われたらどうします?」

クラウスもカールもかぶりを振った。受け入れるわけがない。

「それが、債権売買の世界だと、市場価格としてまかりとおる、ということですか」

峰もようやく理解できたようである。

「さて、クラインゲルドとしてどうするかは、そちらの判断です。ミシマとしては最高裁で勝訴する可能性は十分にあると思っています。それを考慮し査定をお願いします」

「なぜ、最高裁で勝訴する、と確信しているのですか?」

カールが尋ねた。

「なぜって、これまでミシマがインドネシアで行った訴訟はすべて最高裁まで行きましたが、いずれも勝訴しています。まぁ、最高裁判所となれば司法もしっかりしているのでしょう。よほどロジックに誤りがなければ、十分勝訴する内容で臨んでいるのですよ」

 

別 離

 

田は、ハーバート&モーリスのオフィスにいた。彼に対して、懇切丁寧な指導を行ってきたリチャード・オファーは悲しそうな顔をしていた。

「ヒデオ、どうしても考えは変わらないのかい」

「いままでお世話になったことを感謝しています。でも、私は決めたのです。ハーバート&モーリスが合併し、日本のオフィスも相手の事務所と合併する。しかし、日本に関しては相手の東京オフィスのパートナーがそのまま合併事務所の東京オフィスパートナーとなることが決まった以上、私の居場所はありません」

「君なら、ロンドンに戻ってもいくらでもポジションがあるのだが」

「私は、日本人です。英国の法律事務所に籍をおいていますが、日本のクライアントのために全力を尽くしたいと思っています。今回、私にとって重要なクライアントが、この合併のために利害対立が生じ、業務を受けることができなくなってしまいました。リチャード、私はあなたから、実に多くのことを学びました。でも、ロイヤーはクライアントから学ぶことのほうがより大きな意味があるとは思いませんか?私は自分を育ててくれたクライアントのために、居場所を変える決心をしましたし、この決断は変わることはありません」

リチャード・オファーは、田が言い出したらそれを翻すようなことはしないことを十分に理解していた。

オフィスを出て、再び、田は空港へ車で向かった。早く帰ってゆっくりしたい。酒を酌み交わしたい友がいる。田は、鞄のなかから、携帯電話を出した。おそらく、相手は出ないだろうが、メッセージを入れておこう。

「田です。連絡がとれなくてご心配をおかけしたと思います。申し訳ありませんでした。でも、すべて今までどおりです。私は、先日の案件を引き続きサポートさせて頂きます。詳細は、東京に戻ってから、お話します」

田は電話を切った。空港に到着し、チェックイン・カウンターでチケットを出した。すると携帯電話がメールを受信した際に発するメロディが流れた。見ると隼からだった。

well noted & many thanks(すべて了解、そしてありがとう)」という短いメッセージだった。

田は、胸にくるものがあった。長年勤めた事務所との別れ、世話になった上司や同僚、多くのスタッフとの別れ、を思いながら、それでも、自分がやりたい道を進む。困難であるには違いないが、それを意気に感じてくれる相手がいる。

田は、自らを奮い立たせた。日本に帰ったら、やることは山のようにある。今のオフィスのメンバーへの説明や、クライアントへの説明。そして、何よりも、明日からはハーバート&モーリスではなく、クライド、ケイン&パートナーズの東京事務所となることをアナウンスしなければならない。

田からのメッセージを聞いた隼は、申し訳ない気持ちで一杯だった。彼は、ミシマ、いや自分との友情を優先したのではないか?そのために、板ばさみになったり、キャリアに影響がでたりはしないか?しかし、田は自分で決めた道を貫き通す強い意志がある。自分にはない、強固な意志。

隼は、田が戻ってきたら、必ず酒を酌み交わそうと決めた。乾や、湊、堺という自分のチームの皆と一緒に…。(続)

 

(次回は47日更新予定です)

 


【バックナンバー】

37話「新人教育編(19)」

36話「新人教育編(18)」

35話「新人教育編(17)」

34話「新人教育編(16)」

33話「新人教育編(15)」

32話「新人教育編

31話「新人教育編

30話「新人教育編

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13話「債権回収編

12話「債権回収編

11話「債権回収編

10話「債権回収編

9話「企業買収編 交渉の帰結」

8話「企業買収編 再会」

7話「企業買収編 乾美和登場」

6話「契約交渉

5話「契約交渉

4話「契約交渉

3話「契約交渉

2話「契約内容の検討」

1話「契約作成の依頼」

北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役

きたじま・たかゆき
ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
87年早稲田大学法学部卒業、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)入社。ロンドン駐在、同社法務部部長補佐を務めた後、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社法務部ディレクターを経て、06年ユニリーバ・ジャパン株式会社入社。12年4月より現職。國學院大學非常勤講師(国際取引法)。

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