[連載小説]戦う法務課長 第39話「新人教育編(21)」

2014年4月21日|北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
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逡 巡

 

中堅総合商社のミシマが、財務体質の健全化と自己資金の拡充を狙った資産売却で、ミシマから一括して資産(主に、融資債権)を買い取ろうとしているドイツの投資銀行であるクラインゲルドの駐在員カールと出張で日本にきている上司クラウスは、ミシマから提示された情報をもとに、取引の諸条件を固めつつあった。

今回は、気に入った融資債権を個別に購入するのではなく、いわゆるバルクセールといわれる一括購入を行う。購入金額は、もちろん個々の融資債権残高とその回収可能性を考慮に入れ、かつクラインゲルドの利益を織り込んで決定される。カールとクラウスにとっては、この取引(ディール)が期日までに完了するかどうかで、今年のボーナスの査定が大きく変わる。というよりは、このディールの成否により、両者のクラインゲルド内の存在意義が決まるといってもよい。うまくいかなければ、別の居場所を探さなければならないことは、二人とも十分に承知している。だからこそ、失敗は許されない。

「カール、大体こんなところだろう。これで、本社に連絡を入れておいてくれ」

クラウスは、カールが積み上げた購入金額をもう一度眺め渡した上で、大きく息をついた。リストにあがっている債権には、債権の譲渡のために必要な諸条件、特に設定されている担保や保証等が確実に移管されることが条件として記載されていた。バルク購入とはいうが、個別の債権購入の集合体、といったほうが近い。ミシマにとっては、買主が1社である、というだけで、手間は何ら変わりはない。

「法律事務所には、詳細を連絡しておきました。具体的に融資契約書や担保・保証にかかわる書類のコピーが必要になる。それをミシマに伝えなければなりませんね」

カールは、クラウスがもう一度ミシマのオフィスに行くものと思っていた。すでに、峰にはいくつかの候補日を打診してある。

「どうするかだな」

めずらしく、即断即決のクラウスが悩んでいる。クラウスは、前回、ミシマに行った際に指摘されたインドネシアの債権処理の件が気になっていた。投資ファンドの代理人を名乗る男が登場し、クラインゲルドの購入価格の20%増しで買い取ると言ってきた。もちろん、神は購入価格をかなり据え置いてほしい、という要請もしていた。実際、このインドネシア向けの債権は、クラインゲルドとしては不良債権に位置付けられ、その価値は12%に過ぎない。しかし、あのミシマの法務の男は言った。インドネシアの最高裁で勝訴する可能性は多いにあると。

最高裁で勝訴しても直接の回収にはつながらないかもしれないが、それでも、強制執行をかけるなどプレッシャーを与えることで、神のファンドの買取金額よりも高い回収が見込めるかもしれない。何よりも、ファンドの出資者を調べたところ、インドネシアの債務者の親会社の経営者の名前が出てきたのである。あのミシマの法務の男が言ったとおりの状況であることが確認されたのだ。つまり、債務者は、クラインゲルドを通じて、ミシマに対して事実上の債権放棄をさせようとしているのだろう。直接、話をしに行ったところで、交渉がまとまるわけがない。未回収の融資債権を放棄する、というのは、会社にとって実に面倒な状況に追い込まれる。税金だ。安易に放棄すれば、ただで相手にその金額を贈与したのと同じことになる。回収可能性があるにもかかわらず、それを放棄することは、放棄した分は損金参入できない。つまり、税金を払わなければ、帳簿から抹消、すなわち償却できない。

「カール。神という男が代理をしているファンドを調べてみたかい?」

カールは、クラウスに数ページの資料を渡した。

ここ23日、カールが持てる人脈を総動員してかき集めた情報だ。このファンドの目的が、不良債権の債務者が集まって作られたものならば、その目的は、いわゆる金融収益ではない。合法的に、債権放棄を促すための舞台装置だ。債務者相手には決して債権を放棄などしない会社が、「資産の売却」という別の舞台を用意されると、とたんに低い価格で売却を決定する。「市場価格」という名目のもとに、不良債権を処分している。

しかし、今回のファンドは違う。その思惑を逆手にとったものかもしれない。

「確証はつかめませんが、いくつか売却対象の債務者に関連していそうな個人や会社が見え隠れしています」

カールは、クラウスが考えていることがよくわかった。確かに、このファンドが必ず購入するというあてがあれば、購入価格も多少強気に出ても大丈夫だろう。利益だけを考えれば、確かにそうだ。

「我々は、利潤追求を第一とする投資銀行だ」

クラウスは、カールのまとめた情報を机の上にそっと置いた。

「しかし、あくまでも正当なビジネスの上での話だ。何やらこのファンドに関係するのは、まずいような気がする」

クラウスの言葉にカールは頷いた。

 

レセプション

 

「すごいですねぇ」

堺が驚いたように声をあげた。湊も同様にあたりを見回している。田の新しい事務所のお披露目のレセプションだ。最近、都心にオープンしたばかりのホテルの一番大きいバンケットルームを借り切った豪奢なレセプションである。

入り口で、ロングドレスをまとってにこやかに微笑む女性からシャンパングラスを受け取ると、隼は皆を連れて中に入った。

バンケットルームには、200人位は軽く入れそうなスペースである。周囲には、和洋中の料理のケータリングが出ている。

「隼さん。ボク、寿司の屋台って初めてみましたよ。あっちには、ローストビーフがある。いったい、どのくらいの経費がかかっているんだろう」

堺が興奮している。

ざっと23千万円またはそれ以上だろう。乾は、もといた外資系の会社でもこうしたレセプションを何度か経験している。

「あ、田先生ですよ」

湊が隼に言うか言わないうちに、田のほうから隼を見つけた。

「やぁ、皆さん。突然、こんなことになって、混乱させて申し訳ない。でも、私と一緒に仕事をしていた弁護士やスタッフも同様に移りましたからね。コンフリクト(利害対立)のことは気にせず、引き続き例の件はサポートさせて頂きますよ」

田は、周囲にいるミシマ以外のゲストに、何の案件かわからぬように配慮していた。

「新しい事務所のセットアップで大変とは思いますが、例の件、宜しくお願いします。そろそろ、具体的にディール(取引)が始まります。購入者側が、購入価格を決めてくる頃でしょう」

「そちらの希望どおりの価格で来ますかね」

田は、通りかかったコンパニオンが運ぶトレイから赤ワインの入ったグラスを隼に渡した。

隼は、ワインを口に含む。大抵、こうしたレセプションでは大したワインは出さない。しかし、今日出されているものは隼も知らない銘柄ではあるが、なかなか華やいだ香りと少しタンニンの渋さが感じられる。心持ち、冷えているのもよい。

「バルクセールとはいっても、融資債権に付随している担保や保証の切り替え、対抗要件を移転するところで手がかかる。場合によっちゃ、力技も必要だ」

「それは、隼さんのお手のものでしょう」

端からみれば、他愛もない会話だが、二人は、明日以降始まる作業項目をお互いイメージしながら話していた。

「では、詳しいことは明日、電話します」

「そうですね。今日は、ゆっくり楽しんでください」

田はそういうと別のクライアントを見つけて挨拶に行った。

堺、湊、乾は早速料理に手を出している。隼はしばらく、グラスを片手に会場をゆっくりと歩いて回った。何人かの弁護士に久しぶり、と声をかけられた。ロンドン駐在時代に知り合いになった他社の法務担当者や責任者とも名刺交換をした。皆、あの頃は輝いてましたな、と懐かしそうに振り返った。確かに良く遊び、良く呑んだ。

 

邂 逅

 

Mister Hayabusa?

隼は、後ろから声をかけられて振り向いた。驚いた。そこには、久しぶりに会うロシア人の弁護士、エレーナ・イワノバの微笑みがあった。

彼女とは、これまでに二度、交渉の相手方として対峙したことがある。彼女は、現在、田の同僚となっていた。昨年、クライド&ケインのロンドンオフィスから日本に赴任してきた、という。彼女は、田のチームに入り、田をサポートする。ということは、隼とまた「仕事の関係」となる。

隼は比較的人が少ない隅のカウンターに座り、しばらくエレーナと話し込んだ。彼女は、現在ファイナンス案件を主として扱っており、経験のために、不良債権マーケットの案件にも従事する予定だという。

「では、ようやくわが社の案件をサポートしてもらえるわけだ」

隼が感慨深げにグラスをちょっとあげた。

「日本企業の法務の現場にものすごく興味を持ちました。隼さんとの2つ案件での交渉を通じて、弁護士や欧米のインハウスロイヤー(社内弁護士)とも違う、と感じました」

エレーナは、一気にグラスをあけた。縁は異なもの、と隼も次のグラスに手を伸ばしながら、他愛もない会話をエレーナと楽しんだ。

 

取 引

 

クラインゲルド側から、再度ミーティングの申入れがあった。今度は、クラインゲルドのオフィスで行うことになった。ミシマからは、峰、隼そして乾が出席することになった。

「今日は、購入価格そのほかの条件についてお知らせします」

カールは、2枚のメモを配布した。

 

【カールの配布したメモ】

 

1.   購入価格

別紙記載の購入債権リストに記載されている個々の購入対象債権の合計金額

 

2.   Closing(取引完了)予定日

20149月末

 

3.   購入価格支払日

取引完了確認後、3営業日以内。

 

4.   購入価格支払いに関する条件

1)購入対象債権の譲渡手続が完了すること。

2)購入対象債権に付随する担保、保証が確実にクラインゲルドに移転すること。

 

峰は、メモをみて、そして隼のほうをみた。反論の必要がある。隼は、頷いた。

「ミシマとしては、いくつか条件について再考をお願いしたい」

峰の発言に、カールとクラウスはちょっと驚いたような顔をした。

「購入価格がご不満ですか?確かに優良債権も含まれているが、失礼ながら、先日話題になったインドネシア向けのような不良債権もある。そういったことを考慮して、我々としては、ベスト・プライスをつけた、と考えているんですがねぇ」

カールは、慇懃に答えた。

「価格については、申し分ないと思います。これが『市場価格』というのであればね。でも、問題は、支払条件です。購入価格の支払いは、クロージングから起算して3日以内となっている」

クラウスは、それが何か悪いのか、という表情をしている。

隼が、峰に代わって発言した。

「今回は、バルクセールとは言いながら、実際には複数の融資債権を個々に移転することになる。移転手続が完了した時点から、債務者からの返済は、クラインゲルドに対してなされる。つまり、あなた方は、債務者からの回収金があるにもかかわらず、すべての融資債権の移転手続が完了するまで、購入金額を支払わない、とするのは、アンフェア(不公平)だと、こちらは考えますね」

「しかし、これが我々としてのベストの条件であるとしたら、ミシマは受けざるを得ないのではないですか」

クラウスは峰と隼を交互に見ながら話した。

乾は、一連のやりとりをメモしながら、確かに今回は、買い手のほうが立場が強いと実感していた。ミシマとしては、ここでクラインゲルドに諦められたら、道はない。

「失礼を承知でいえば、不良債権を含むこれだけ多数の債権を一括してこれだけの価格で購入するところは、クラインゲルドのほかにはまずないでしょう」

カールもクラウスに続いて発言した。

隼は、峰をちらりとみた。ここからは、ひょっとしたら、交渉決裂する可能性も念頭において話さなければならない。いや、交渉決裂を恐れてはいけない。誰もが、このディール(取引)を成立させたがっているのだ。

問題は、と隼は言いかけて、言葉をかえた。

「ポイントは、購入価格の支払時期です。クロージングが完了しないと我々は出金できない。ものを売ったのに代金が入ってこない。売り手としては、買い手に合理的な理由があれば、支払条件を考慮する余地がある。しかし、合理的な理由がなく、支払いを先延ばしにすることは、いかにこの取引が買い手有利とは言っても、簡単には受諾できないですね。逆に、失礼を承知でいえば、クラインゲルドのキャッシュフローに何か問題があるのでは、と勘ぐりたくなる」

「そんなことはない!」

思わず、クラウスは隼を遮ってしまった。

「では、多少でも支払いを遅らせることで、金利を稼ごう、ということかな。私ならそう考える」

図星だった。もともと、購入価格の支払いについては、譲渡債権の移転後、速やかに支払うということで、本社の了解を得ていた。しかし、土壇場になって、クラウスはカールに支払条件をクラインゲルドに有利になるよう指示した。

購入債権によっては、早々に移転が完了するものもある。すべての移転が完了するまでの間、購入代金を支払わないでよい、とすれば、その間、クラインゲルドには「期限の利益」が発生する。期限の利益とは、支払わなくてよいという利益がある、という意味だ。

「もし、購入価格の支払条件をすべての譲渡債権の移転完了時を起算点にするとしても、その間、クラインゲルドには期限の利益がある。一方、我々は、こう言っては失礼だが、買主であるクラインゲルドに対して、信用供与をすることになる」

「信用供与ですか?それは、我々の支払能力に疑問がある、ということですか?」

「疑問がある、なしの話ではない。売買の対象物を引渡すにもかかわらず、代金の支払いがあとになる。債権者が債務者に対して、信用を供与できなければ、成り立たない取引でしょう」

「では、この条件を受けて頂くためには何が必要ですか?」

峰も乾も、隼の話の進め方にひやひやしている。一歩間違えれば、ディール・ブレイク(交渉決裂)になりかねないような雰囲気だ。

「単なるブレーンストーミングだと思って、聞いて頂きたいのですが。つまり、例えばの話です」

隼も、みずからが綱渡りのような議論をしていることは百も承知である。しかし、今回のプロジェクトの目的は、単なる債権の売却ではない。なるべく早い時期に現金化することなのだ。現金を手元に手繰り寄せる交渉をしなければならない。

 

【隼の出した条件-あくまでも例えば、の話】

 

1.   Acceleration clauseの挿入

 

2.   クラインゲルド日本支店の財務状況、キャッシュフローを示す書類

 

3.   購入価格の支払いがすべての債権移転後とすることの合理的な説明

 

1.は、どういう意味ですか?」

「なに、極めて普通の条項ですよ。クラインゲルドに債務不履行または信用不安があったら、未払いの購入代金支払債務の期限の利益は喪失し、クラインゲルドはただちに債務の一切を支払う、という内容の条項です」

2.は?」

クラウスは、かろうじて自制しながら続けた。

「いや、『債務者』の支払能力を調査するのは当然でしょう。さほど、特別なことじゃない」

「しかし、うちは支店です。支店単体での決算書など公表していない。本社のものならありますがね」

クラウスは切り替えしたつもりだった。

「では、親会社に支店の支払いを保証してもらうレターを出してもらいましょうか」

クラウスもカールもたじろいだ。こんな売り手を見たことがない。大抵は、こちらの条件を卑屈なぐらい受諾してくる。金になりさえすればよい、という態度が見えるものである。

しかし、このミシマの法務の男の態度はどうだ。まるで、「対等」であるかのような物言いだ。圧倒的にこちらの立場が「強い」はずなのに。

「ミシマがその条件に固執するのであれば、こちらとしても購入は

「『考えざるを得ない』あるいは『ディール・ブレイクにせざるを得ない』ですか?であれば、仕方がない。別の購入先を探すまでです。」

「どこか他のところと売却交渉をしているのか?だとしたら、最初に締結したレター・オブ・インテント(意向書)のexclusivity(独占交渉)の義務違反になる!」

「その事実はないし、あったとしてもそれを立証する術をクラインゲルドは持っていないのでは?」

隼は、決して語調を荒げることなく、淡々と話をしていた。

クラウスとカールは、顔を見合わせた。実は、ディール・ブレイクするだけの理由がない。なぜならば、本社から得られた条件を下回るものではないからだ。もちろん、支払いを控えている間の金利は馬鹿にならない。その条件を勝ち取れれば評価に値しよう。しかし、それが取れなくても、別に責められはしない。クラウスは、矛をおさめることにした。(続)

 

(次回は428日更新予定です)

 


【バックナンバー】

38話「新人教育編(20)」

37話「新人教育編(19)」

36話「新人教育編(18)」

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11話「債権回収編

10話「債権回収編

9話「企業買収編 交渉の帰結」

8話「企業買収編 再会」

7話「企業買収編 乾美和登場」

6話「契約交渉

5話「契約交渉

4話「契約交渉

3話「契約交渉

2話「契約内容の検討」

1話「契約作成の依頼」

北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役

きたじま・たかゆき
ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
87年早稲田大学法学部卒業、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)入社。ロンドン駐在、同社法務部部長補佐を務めた後、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社法務部ディレクターを経て、06年ユニリーバ・ジャパン株式会社入社。12年4月より現職。國學院大學非常勤講師(国際取引法)。

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