[連載小説]戦う法務課長 第40話「新人教育編(22)」

2014年5月19日|北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
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クラインゲルドが起用している法律事務所が、以前、田が所属していたところであったことも幸いした。時間が限られている案件のなかで、ちょっとしたことで理解の齟齬が生じ、その修正に思わぬ時間がかかるものだ。田は、クラインゲルド起用事務所の旧知の弁護士に、あらかじめ十分な根回しを行ったうえで作業にとりかかった。相手側法律事務所の実務をよく知る田は、常に先回りをしながら、交渉を進めることができたので、作業量の割には、処理速度は速かったのである。

田およびそのチームの若い弁護士達の獅子奮迅の働きに、ミシマのプロジェクトチームメンバーは、感嘆せざるを得なかった。

隼も、あらためて田の底力を認識した。事務所が移転し、まだ落ち着かないなかで、これだけの仕事をやってのける、その集中力とリーダーシップ。

「見習いたいものだね」

ふと、隼が乾に漏らした。乾は、まったく隼に同感である。さらに、田のチームにいるロシア人弁護士エレーナ・イワノバの働きも大きい。さすがに日本人よりは、英文のドキュメントを読みこなし、必要な文書を作成していくのは速い。まるで、機械のように文書を作成しつづける。しかし、一方で、ミシマのチームメンバーとの交流も欠かさない。仕事が深夜に及んだにもかかわらず、堺や湊と一緒に、朝4時まで開いている居酒屋で酒を酌み交わしたりしている。

皆が、これだけの力を結集している。誰もが、「力仕事」でありながら、ある種の高揚感、充実感を味わっていた。

「情熱があれば、何でもできるね」

隼の言葉に乾は頷いた。

 

根回し

 

作業しているなかで、融資実行から数年たっているものは、債務者や担保提供者・保証人側にも変化が生じていた。

例えば、合併や組織変更等によって、社名が変わってしまっているケースがある。ポイントは、融資実行時と法人格の同一性があるかどうかだ。合併や組織変更の事実が、営業部隊のみに知らされており、それを社内で適切に周知していないために、初めて社名が変更したことを認識した案件も多数見られた。

これらも、クライド&ケインにて、会社の登記状況を一つ一つ確認してもらい、文書に反映させた。

この段になり、債務者とのコンタクトは、従来からコミュニケーションがある営業部隊が同席することになった。いきなり、財務や法務の人間のみが融資先に入り込んで、債権譲渡に承諾してほしい、といったところで、警戒されるばかりで、素直に話を聞いてもらえない。やはり、こうした局面では、「顔」のある営業部隊の登場が不可欠である。

隼、峰は、それぞれの上司である役員に、社長から営業部隊に直接協力要請を出してもらうよう依頼した。こうした指示は、横からでは駄目なのだ。上から、それもはるか雲の上から刺すようにおりてこないと効き目がない。

財務担当役員も管理担当役員も、ここが勝負と社長に詰め寄った。従来どおりの取引関係に固執する中間管理職の不平不満を押さえ込むためには、是が非でも必要であった。

「営業部門の全管理職対象にメールを発信して下さい」

財務担当役員は、社長に文面をみせた。会議を開催して、そこで社長に話してもらってもよいのだが、質疑応答での応酬で、社長が思わぬ発言をすることで、プロジェクトの進行に支障をきたすことは避けなければいけない。社長を守り、プロジェクトを守るためには、社長を表に出してはならない、と彼は考えていたのである。

「でも、メールで意思が伝わるかな」

社長の質問は至極もっともではあった。

「直接、みんなの前で話したほうが、いんじゃないのか?」

社長は、管理担当役員をチラリと見ながら続けた。

「しかし、なかには過激な管理職もいるかもしれません。商社にとっては商圏の確保こそが第一だ、という輩は、この流れをかえることは無理とわかりつつも、少しでもあらがえればよい、と思う者もいるかもしれません」

財務担当役員は、社長をいたわるような調子で答えた。これが、この男の姿勢である。

「私は、そうした管理職に言い負かされる恐れがある、というのかい」

滅相もない、財務担当役員は、そういう表情を見せながら答えた。

「あくまでも、万が一のことを考えてです」

「いや、やはり、メールとともに、幹部社員の前でお話しいただいたほうがいいでしょう」

管理担当役員の発言に、財務担当役員は驚いた。彼と同じく、慎重に出世の道を歩んできた男がこうした思い切った発言をするとは思ってもみなかった。

「それだけ、当社にとって大事な、命運をかけたプロジェクトだ、ということです」

社長は頷いた。

 

団 結

 

本社にいる営業部門で課長以上の者を集めた会議で、社長はプロジェクトへの協力を呼びかけた。会議は、本社だけでなく、関係する海外の現地法人、支店、駐在員事務所も衛星回線で結んで行われた。

社長は、与えられた原稿には目を落とさず、参加者のほうをまっすぐと向いて、今回の融資債権売却の必要性を説いた。多くの者が納得したようであったが、数名の人間がどうしても聞きたい、ということで事前に質問が受け付けられた。

「融資債権が売却されることで、いわば、金の切れ目が縁の切れ目といわんばかりに、取引が減少する可能性があります。今回の融資債権の売却は、会社の方針なのだから、売却に伴う売上減少については,営業部には責任がない、と理解してよろしいか」

この質問に、大きく頷く社員が何名もいた。

「融資債権の売却を行い、手元のキャッシュを潤沢にするのは、会社の方針です。しかし、実行してから何年もたっているような融資案件では、確かに融資実行当初は感謝されたかもしれないが、現在では、その意味は薄れてきているのではないですか?むしろ、融資債権売却が、取引先にとって、格好の『縁切り』の理由となるのであれば、融資実行から今日まで、営業部門は何をしてきたのかと、私は問いたい。当社は『金貸し』ではなく、あくまでも『商社』なのです。資産売却にかかわるコスト、つまり弁護士費用や調達先への繰上げ返済にかかるコストは全社アカウントとしますが、商社の営業部門の成績については、若干の修正は必要なものの、今回の資産売却が業績低迷の理由にはならないことを肝に銘じてください」

一同、静まり返っていた。

「要は、当社は厳しい状況にあること、それを乗り越えていくためには、可能な限りの手段を尽くすこと、そして、言い訳をひねりだす時間があったら、新しいビジネス展開を考えること、最後に、有益な商圏やビジネスの展開のためには、投資を惜しまない、ということをお伝えしておきます」

隼は、会場の後方で社長の発言を聞いていた。

社長もなかなか、いうべきときはいうな。

それが、隼の正直な感想であった。

 

大詰め

 

クラインゲルドのカール・ヒュッテルも、ミシマからの債権購入にあたって大詰めを迎えていた。クラインゲルドが起用する法律事務所は日本にオフィスはあるものの、今回の取引においてはファイナンス部門のアジア地域のヘッドがいるシンガポールオフィスが中心となって作業することになっていた。

時差はたいしたことはないものの、やはりすぐに顔を突き合わせて相談することができない、ということに不便を感じていた。もちろん、テレビ会議のシステムは備わっており、形式的にはコミュニケーションには問題がないように思うも、やはり大事なところは直接話し合いたい、という気持ちが強い。

カールは、度々、シンガポールに出張し、ファイナンスロイヤーたちと会議を重ねた。幸い、ミシマについている弁護士は、この事務所のシンガポールオフィスでは有名人のようで、彼が作成したものであれば、信用できる、という雰囲気も作業をはかどらせる一つの要因となった。

カールは、スケジュール表を眺めながら、終了した作業にマークをつけていった。ここ2週間位、あまり睡眠時間がとれていない。ミシマとの交渉では、債権売却ごとに購入代金を支払うことになったが、カールは上司のクラウスと話をして、可能な限り、対象債権の売却時期を同じタイミングにしようとしていた。そのほうが効率的ではある。

ミシマ側も、先の条件さえ守られるのであれば、なるべく同一タイミングでの売却にむけて努力することを表明した。

「難しいかもしれない。だが、できない話ではない」

あの、顔色の悪い法務の責任者がぼそっと呟いたのをカールは覚えている。その後の両社の作業の進み具合は、驚くべきものがある。カールの経験でも、こんなに集中的に物事がまとまっていくのを目の当たりにするのは初めてである。

「何とか、予定どおりにいけそうです。資金の方は大丈夫ですか?」

一足先に本社に戻ったクラウスにカールは電話で報告をした。

「問題ない。クロージングの日が決まり次第、教えてくれ。効率のいい資金移動を考えなければいけない」

「時差のタイミングも忘れないで下さいよ」

とカールはついつい言ってしまった。クラウスのほうがこうした取引に関しては、経験が豊富であり、何度も薄氷を踏むような思いをしてきたのを思い出した。

「カール。私は、この取引が終わったら会社を辞めようと思っている」

どこか、転職の口がきたのだろうか?クラウスならありえる。彼の嗅覚や俊敏な反応は、業界でもトップクラスと言われている。引く手あまたであろう。

「引退しようと思ってね」

「どういう心境の変化です?」

カールは驚いて尋ねた。

「いや、最近思うところがあってね。こうして身を切られるような思いを重ねた見返りに、それなりの報酬を得てきた。だが、だんだんと、もっと自分には他にやるべきことがあったのではないか、という気がしてね」

「では、今回の取引が終わったら、しばらく休暇でもとればいいじゃないですか?そのくらいは、認められるでしょう?」

カールは、単にクラウスが疲れているだけだと思っていた。

「まだ、このことは誰にも言わないでくれ。クロージングが終わったら、ゆっくり話すからさ」

電話は静かに切れた。

 

クロージング

 

隼と峰のプロジェクトチームは、早朝から会議室にこもっている。複数の専用電話回線やLAN回線を用意している。会議室には、田の姿もみえる。田の周りにも複数の電話機がある。これらはすべて、クライド&ケインの海外事務所につながっている。

乾は、隼の指示でシンガポールのミシマオフィスに張り付いている。融資債権の債権者は、ミシマ本体ではなく、ミシマの海外法人、主に、シンガポール、香港である。したがって、売却代金はシンガポール法人または香港法人に入ることになっている。融資債権実行の90%がシンガポールなので、いろいろ調整した結果、シンガポールですべての確認作業を終結させるのが効率よい、ということで、クラインゲルドとミシマで合意された。

乾は、クライド&ケインの弁護士と相手側であるハーバート&モリスの弁護士を前にして緊張している。

融資債権の売却に関する書類は、すべて関係者の署名が取られている。今日は、それらをすべて確認した上で、クラインゲルド側で送金指示を出すことになる。

「では、確認を始めます」

峰が、厳かな調子で声を発した。

一つ一つ書類を確認する。田が、何事も漏らさない、という目つきで、書類を手にしながら、次々に隼に手渡す。隼は、一つ一つ頷き、峰に手渡す。峰は、それを案件ごとのファイルフォルダに保存する。

1時間が経過。ようやく全体の50%の案件の確認が終わった。会議室にいる面々の表示に疲れは見えない。緊張のせいだろうか。

「シンガポール側も問題ありません」

乾の声だ。だいぶ落ち着いているようだ。隼は安心した。

堺と湊は、特に仕事は与えられていなかったが、会議室の隅で、この有様を眺めていた。

「何にもしていないけど、緊張するなぁ」

堺が呟いた。湊も同感である。

その後、さらに1時間。

「すべて確認が終わりました!」

OKPerfect!!

双方の弁護士が声を出した。すべて書類が一つの漏れもなく、ミスもないことが確認されたのである。

「ミネさん。資金は予定通り2日後にそれぞれの指定口座に入金されますので、確認をお願いします」

カールも心なしか、声がはずんでいる。

「了解です。ありがとう」

峰は、なぜか電話のむこうにいるカールに頭を下げた。

「隼さん。やりましたね」

田が、にこやかに隼のほうを振り返った。

「いや、本当にありがとうございます。田先生とそのチームのおかげです。さすがですね」

隼は、言葉は少ないが、感嘆と賛辞の意を表した。

「しかし、今回は総力戦でした。ウチも出せる人員を使いきった、という感じですね。ま、Legal Feeは覚悟しておいて下さい」

田は、笑った。隼も笑った。

「大丈夫ですよ。今回の成果、つまりキャッシュとして入ってくる金額からみれば、微々たるものとは言わないが、十分、妥当な金額です」

峰が、隼をみながら、真顔で田に言った。

「冗談ですよ。今回は我々も大いに勉強させてもらいました。今後のミシマとのプロジェクトでまた起用頂けることを期待して、考慮させて頂きますよ」

「では、その『交渉』に行きますか」

隼が、にやりとした。

「まだ、昼前ですよ」

乾がクギをさした。

 

報 告

 

「では、予定どおり今月末で、すべて入金できたということだな」

隼の報告を受けて、管理担当役員は、書類に目を落とした。半ページ程ではあるが、売却した債権の明細と売却金額が羅列されている。

「とにかく、ご苦労だったな。いや、少ない人員でここまでできるとは正直思わなかったがな」

「だからといって、法務人員を拡充しないでよい、という理屈にはなりませんよ」

隼はいつもの調子で答えた。

「それから、『援護射撃』もしていただいたようで」

管理担当役員は訝しそうな表情をした。

「あの社長のメッセージですよ。まさに『檄文』というに等しいインパクトがありました。あの質問もわざとさせたのではないですか?」

管理担当役員は、あいかわらずの隼の洞察力に感嘆した。どうせ、人前で話をさせるのであれば、あらかじめ用意した質問をさせて、社長に答えてもらうことがもっともインパクトのあるメッセージだ、と主張したのは、彼だった。財務担当役員は反対したが。

「さあ、どうだろうねぇ」

彼は、明確には答えなかった。答える必要もなかった。

「こちらでスピーチの原稿を用意したんだが、意外と社長が乗り気だったのでそれを無視して話し出したときは、ひやりとしたがね」

「まったく、そのようには見えませんでしたね。少なくとも私には」

管理担当役員は、あらためて隼にご苦労だった、と述べた。これ以上、話すことはない。隼もそれを十分にわきまえ、役員室を後にした。

ミシマが大規模な資産売却を行ったことは、大きく報道された。投資家筋は、ミシマの行動については好意的に評価する向きが多かった。余分な資産を売却し、その資金で新たな投資を行っていく姿に好感を持ったようだ。

しかし、ミシマの状況は資産売却で一息ついたものの、さらなるスリム化を求められている状況にあることを、隼は、近い将来、思い知らされることになる。

財務体質の改善と並行して進めなければならないのが、人員削減の問題である。隼は、否応なしに、「リストラ」という嵐に巻き込まれていくことになる。

 

巣立ち

 

隼は、乾としばらく話し込んだ後、堺と湊を呼んだ。

「二人とも、これまでよく頑張ってくれました。特に、資産売却の件では、いろいろと貴重な経験をしたと思う」

堺も湊も、大きく頷いた。

「法務の仕事って、面白いですね。決して、机の上で書面とにらめっこするだけの仕事じゃないっていうことがよくわかりました」

「まさに、血沸き肉踊るっていう感覚ですかね」

堺も湊も、この仕事の面白さを十分に理解したようだ。

「法務の面白さをわかってもらえたところで、第一段階は終了だ。君たちは、来月から独り立ちして、独立した法務マンとしてやってもらう」

「どういうことですか?」

湊の問いに隼は淡々と答えた。

「乾さんによる指導員の制度は今月でおしまい。君たちは、来月から一担当としてボクに直接報告してもらうことになる」

「えー、独りでやるんですかぁ」

堺が途方にくれたような声をあげた。

「ま、当然の成り行きさ。君たちは、『独りで戦える法務マン』を目指してもらいたい。『独りで戦う』ということの意味を、自分なりに考え追求してもらいたいんだ」

「隼さん。なんだか、どっかに行っちゃうみたいですね」

湊が心配そうに言った。乾は、平然としている。

「どこにも行かないよ。しばらくはね」

隼は、それじゃ、といって会議をお開きにした。(続)

 

(次回は526日更新予定です)

 


【バックナンバー】

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8話「企業買収編 再会」

7話「企業買収編 乾美和登場」

6話「契約交渉

5話「契約交渉

4話「契約交渉

3話「契約交渉

2話「契約内容の検討」

1話「契約作成の依頼」

北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役

きたじま・たかゆき
ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
87年早稲田大学法学部卒業、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)入社。ロンドン駐在、同社法務部部長補佐を務めた後、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社法務部ディレクターを経て、06年ユニリーバ・ジャパン株式会社入社。12年4月より現職。國學院大學非常勤講師(国際取引法)。

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