[連載小説]戦う法務課長 第43話「コンプライアンス編(2)」

2014年7月20日|北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
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通報を受けた場合、その内容はすべてコンプライアンス事務局にて把握し、案件に応じて主管部門を振り分け、調査、対応を指示する。特に、調査において、違法性の高いもの、あるいはミシマの評判や信用を傷つける恐れのあるものについては、調査は事務局のみならず、外部の専門の調査会社と協力して行うことになっている。これは、後に調査内容を対外発表しなければならない場合、調査方法、内容、結果の透明性を確保するためである。

調査会社は、外資系であり日本のみならず世界主要国に現地法人があるため、ミシマの海外法人で問題が起こった場合でも対応ができるようにはなっている。

 

駐 在

 

殷幸彦が、欧州地区の法務審査マネージャーとして赴任して早いもので5年が経過した。隼が、殷を送り出すときに伝えた「とりあえず5年」の期間は過ぎ、いつ帰国の話が出てもおかしくはない。殷は、この5年間で営業や職能部隊で駐在にきている者たちとかなりの交流を深め、彼らの信頼を得ていた。また、現地スタッフからも、彼のバランス感覚に優れたアドバイスや若さという点もあるが昼夜を問わないその仕事振りに賞賛の声も少なくなかった。

赴任の内示を得たときは、独身の気軽さから簡単に話を引き受けたが、さすがに5年間もたつと、そろそろ家庭でも持ちたい、という気になる。特に、ロンドンの冬は昼が短い。延々と続く暗い夜を一人でなにもせずに過ごすのは、さすがに寂しいと感じるときがある。そんなとき、同僚や先輩社員は、夜の街へ繰り出し、日本人相手のバーやクラブへ入り浸る者もいる。別にミシマの社員に限っての話ではない。競合商社の駐在員も似たような状況なのだ。ただ、殷は大勢でそうした店にいくのはあまり好きではなかった。彼は、よく一人で静かなバーで、カウンター越しに女性のバーテンダーととりとめもない話をする。

「ねぇ、殷さんって一人?」

「それは、単身赴任という意味、それとも独身という意味で?」

「どっちなの?」

「さぁ、どっちでしょう」

といった具合だ。5年の間には、たまには食事に行ったりするほどの仲になる女性もいるが、いずれも長続きしない。何しろ、相手は短期で留学してきている学生がほとんどだ。12年で帰国してしまう。帰国当初は、メールでやりとりもしたが、それもしばらくすると途絶えてしまう。どうも自分には、まめさやしつこさが欠けているようだ、とつくづく思う。

一方、仕事は苛烈を極めた。月に3度ほど欧州域内のミシマのオフィスがある街を訪問する。飛行機や電車、場合によっては車をレンタルして移動することもある。メールや電話、FAXでもある程度仕事はこなせるのだが、どうしても顔をつき合わせて話をしないとスムーズに解決しないことも多い。そんなときは、最低限の着替えとノートパソコン、携帯を持って殷は、ロンドンから飛び出す。

移動時間はもっぱら書類やメールの処理に追われる。殷の携帯には、会社のメールサーバーに入るメールをすべて転送するように設定してあるため、それでメールをチェックし、簡単な案件はそのつど処理している。隙間時間を使う、というのが、殷のスタイルだった。

殷のスケジュールは、秘書のジェニファーがすべて処理している。彼女は、日本語も堪能であり、またミシマに入社する前は、複数の法律事務所で秘書として働いていた経験もあるため、ロンドンの主要な法律事務所には必ず誰か知り合いがいる、という人脈を持っていた。この人脈が、殷の仕事にとって大きく作用したことが何度かあった。

また、殷はミーティングや出張依頼などのリクエストはすべてジェニファーに丸投げしていた。周囲もそのことを理解していて、殷に連絡するよりジェニファーに調整を依頼するようになっている。そのほうが、ダブルブッキングやめちゃくちゃな予定にならないからである。一度、ジェニファーが休暇中に、殷みずから予定を調整しようとしたら、たちどころに、いくつも支障が生じて往生したことがあった。日本に戻れば、そうした専任の秘書がつくような立場ではないが、つくづく仕事を処理していくなかで秘書の大切さを身をもって実感している。極論すれば、使えない担当者が3人いるよりは、使える有能な秘書が1人のほうが、仕事の効率ははるかに上がる、というのが殷の持論だった。

 

呼び出し

 

殷が、パリ出張のため、ウォータールー駅からユーロスターに乗ろうとしたとき、殷の携帯がなった。

「どうした?」

ジェニファーからである。二人の暗黙の了解で、二人同士で話をするときは日本語、となっている。ジェニファーはいずれ日本に行き、日本の会社の法務部でスタッフとして働きたい、という妙な目標を持っていた。そのため、単なる日常会話だけでなく、社内での会話にも耐えうる日本語を修得したいというのが彼女の希望であり、殷はそれに応えるかたちとなったのである。

「東京から電話がきています。何でも、至急連絡をとりたいのだけれど、携帯がつながらないとかで

そういえば、先週、携帯を川に落としてしまい、新しいものに変えたばかりだった。新しい電話番号は、まだ伝えていない。

「そう。誰からだろう?先月、こっちに出張にきた機械部門の人かな?」

「いいえ、多分、ミスターの上司だと思います」

「?」

隼が殷に電話してくることなどこの5年間で数えるほどしかない。いつもは、短いメールのやりとりですませているからだ。殷は、赴任当初、隼に月次で報告書を作成して送付する旨を伝えたことがある。自分が何をやっているのか、本社でもきちんとみて欲しいと思ったからだ。

「いいや、それには及ばないよ。もっとも、君がこれは本社に伝えるべき事項だ、と思うものがあれば随時報告してくれ。欧州は、君に任せたからね」

殷は、隼がそうした台詞をはいたからといって、責任を転嫁するような人間ではないことをよく知っている。隼は、本当に殷に欧州の法務を任せたのである。

「わかった。で、こちらからコールバックしたほうがいいのかな?」

「いえ、ミスターがパリに出張することをお伝えしたら、ではパリに到着する頃合いを見計らって連絡する、とおっしゃってました」

「何か、隼さんからメールは入っているかな?」

殷は、自分のメールアドレスに入ってくるメールは、すべてジェニファーも閲覧できるようにしてある。それだけ彼女を信頼しているのだ。

「いえ、まだ何も

OK。では、パリまでは、そのことを忘れて、宿題となっている契約書の読み込みをすることにしよう」

「パリへの到着時間と宿泊先はミスター・ハヤブサにはお伝えしてあります」

あいかわらず、そつがない。

 

逡 巡

 

彼は、迷っていた。すでに、告発文は本社へ送ったのだ。本社のコンプライアンス委員会が動くのは間違いない。自分は正しいことをしているのだ。

いったい、何がどう「正しい」のだろう。この事実が明るみに出れば、おそらくミシマは相当な打撃を受ける。金銭的なものだけでなく、信用、評判といったものへのダメージも出てくることは必至だ。それを、明るみに出すことは、はたして正しいことなのか?

今さらながら、彼は、自分のしたことが本当によかったのかどうか、自信が持てなかった。多くの仲間、取引先の担当者の顔が浮かんでは消える。

ミシマのコンプライアンス体制では、内部告発窓口は外部の法律事務所にもある。そこで、自分の素性を明かし、すべてを聞いてもらったほうがよかったのではないか,とも思う。しかし、そうすると、告発者が駐在員であることがばれてしまう。そして、犯人探しが始まる…。

彼は、自分のしたことは間違っていない、と誰かに言ってほしかったのだ。

 

研修準備

 

「さて、みんなはどう思う?」

乾、湊、堺を前にして隼は問いかけた。

「乾さんが用意してくれたコンプライアンス研修用のスライドを一通りみたが、皆の意見を聞こう」

「今度の研修は、営業マン対象なんですよね?であれば、もう少し、なんでコンプライアンスが大切かっていうことがわかるようなメッセージがあったほうがいいんじゃないかと思います」

湊は、乾に遠慮がちに発言した。

「気にしなくていいのよ。私も叩き台として作ったものだから、皆の意見を反映させていいものにしていきましょう」

「そりゃそうだ。乾さんが完璧なものを作ってしまったら、僕の出番ないですもん」と堺。

「もう少し、コンプライアンス違反の結果がどうなるか、ということを強調したらいいんじゃないでしょうか?例えば、インサイダー取引を行った場合の刑事罰とか、独占禁止法違反の場合の課徴金の金額とか」

堺の意見に乾が反応した。

「そうねぇ。でも、それって結局日々の営業活動にどう影響を与えるかのインパクトとすぐには結びつかないかもしれない」

「じゃあ、最近の企業不祥事ってやつを列挙したらどうでしょう。いったいどんな違反行為があったのか、そしてその違反企業がどういう顛末をたどったのかを簡単なリストにするんです」

堺は、我ながらよいアイディアだという表情をしている。

「いい着眼点だね。確かに、昔から法令違反の企業はそれなりにあっただろうけど,今ほど大きな問題として取り上げられていなかったような気もするね。どうしてだと思う?」

隼の問いに湊が答えた。

「利益重視、だったからじゃないでしょうか?少々の違反行為があっても、業績がよく利益を出し、株主に配当している企業であれば、一時的にマスコミに騒がれたとしても、すぐにそのことは忘れ去られてしまう」

「逆に今は、一つの違反行為であっても、その後の企業の姿勢や対応いかんでは、大きな批判にさらされ、ひどい時は当該企業が市場からの撤退を余儀なくされ、倒産あるいは競合に吸収されて長年築き上げてきたブランドを失う、といったこともみられるようになってきたね」

隼のコメントに一同頷いた。

「つまり、違反行為の上にいくら利益を積み上げても駄目っていうことですね」

堺は、自分が納得する言葉を選びながらまとめた。

「でもなかには、違反行為はばれなければいいと思っている人も多いですよね。それから、他社もやっているのに、何でウチの会社は駄目なんだ、と…」

湊の発言に乾は大きく頷いた。乾の前職場は外資系の企業であったが、いつもその点で現地法人の社長と意見が食い違った。彼は、それが違法であることは理解していたが、そのことが発覚するリスクの度合いにこだわっていた。誰も知らなければ 罰しようがないじゃないか…。彼は、さかんにそう口にしていた。結局、理論上のリスクはわかるが、実際にはそのリスクが現実化する可能性は低い、という妙な論法で押し切られたことが何度かある。今にして思えば、苦い経験だ。

「今は、中途入社や派遣という形態で働いている人も多くなり、昔ほど会社に対する忠誠心(ロイヤリティ)も薄れてきたし、内部告発もあるし、会社にとって不都合なことをいつまでも隠しておける時代じゃないっていう、時代認識も必要ね」

乾は、湊の後押しをするように言った。

「ま、その『忠誠心』も会社に対する本来のものではなく、特定の上司や派閥のため、という意識が強かっただろうと思うね」

隼は、そろそろまとめる潮時と判断した。

「じゃあ、今までの議論をもとに、再度、研修用のスライドを手直ししてくれ。それができたら、担当役員のところへ説明に行こう」

 

情報収集

 

パリのホテルに入り、荷物を解いて落ち着いてから30分ほどして、殷の携帯が鳴った。

「どうもお久しぶりです」

「元気でやってる?今年のヨーロッパは冷えそうだね」

「隼さん、そろそろ、またロンドンに来て下さい。前回は2年半前ですよ。たまには顔つきあわせて、いろいろと話を聞いてもらいたいんですよ」

「いやいや、現地の総支配人経由で、君の活躍ぶりは耳に入っているよ。ところで、最近何か不穏な噂というか問題案件みたいなものについての相談を受けたことはあるかい?」

隼にしては、めずらしく遠まわしな物言いである。

「少なくとも、今私がいるパリでは聞いたことはありませんね。あと、数時間前に旅立ったロンドンでも同じです。他の国となると…、ああ、イタリアで1件、素行不良の従業員を解雇する話が出ています。何でも親戚がマフィアらしくて現地の社長も解雇通告に二の足を踏んでいる、という話が一昨日ありましたね。あとは、私のところには、目新しい、そして、重大な話、というのはきてないようですがね」

殷は、話しながらなんとなく胸騒ぎがしていた。

「なるほど。ところで、来月末あたり戻ってくることはできそうかい?」

殷は仰天した。いくら、自分が単身、いや独身だからってそう急な話をされても困る、と言いかけた。

「これは、本帰国の話じゃない。君には、もう少し欧州をエンジョイしてもらおうとは思っている。無論、君が早期の帰国を望むなら別だがね」

「何か、本社で掴んだ情報があるんですか?」

殷は、単刀直入に切り込んだ。隼が持って回った言い回しをするときは,必ず何か重大な問題がある。殷は、経験上、よく知っていた。

「実は、本社の営業マン向けにコンプライアンスのセミナーをやろうと思ってね。知ってのとおり、今の僕は、コンプライアンス委員会事務局長補佐兼務、というあまりありがたくない肩書きをつけられている」

「研修だけでなく、実戦もある、ということですか?」

あいかわらず殷は鋭い。

「帰国する前にドイツに寄ってもらいたい」

「ドイツ?」

「そうだ。ドイツの化学品の商売に不審な点がないか、だいたいのところを調べてきてくれないか?」

「『だいたいのところ』といいますと、どこまで、のことを考えていますか?」

殷は、わかりきった質問をした。隼は、何か調査するときは徹底的にやるし、そのように指示も出す。だが、今回は、そのような指示が出したくてもオフィシャルには出せない、しかし、突っ込んで調べるべき重要な何かが潜んでいるのだ。

「君が、現時点で納得するまででいい。それから、話の背景となっているいきさつについては別途、携帯電話のほうにメールする。如才ないとは思うが、印刷や転送は厳禁だ」

「内部告発ですか?」

一呼吸おいて殷が応えた。

「そうだ。どこまで知っている?」

「いや、現時点では何も。とにかく、パリでの仕事を終えたら、ドイツへ回りましょう」

「あまり、この件だけで動いた、というように思われないように振舞うことは可能だろうね」

「大丈夫です。あそこは、ああ見えて相談案件の宝庫なんです。現地からは、毎日でもいいから来てくれ、といわれてますよ」

「了解。結果を期待しているよ」

殷は、静かに携帯をテーブルの上におき、しばし考えた。この段階で、調査会社のグローブ&アナリシスに話をするまでもない。自分でできるところまでやってやろう。

そして、コンプライアンス研修の内容の打ち合わせという名目で帰国、殷が得た情報をもとに日本で対応を協議、調査を継続、という流れになるであろう。

しかし、それだけではすまない複雑な問題があると殷は直感的に感じていた。隼から携帯に送られてきたメールをみて、殷は、自分の考えよりもはるかに物事が進行している可能性があることをはっきりと認識した。

 

別 件

 

湊は、1本の電話を営業部から受けた。どうやら取引先の1社の社員が何か刑事的な問題で逮捕されたらしい、というものだった。電話をしてきている営業マンも、別の営業担当者からの伝聞で、詳細について問い合わせても要領を得ない。

幸い都内にある取引先である。湊は、営業マンに現場に誰かを送り、様子をみてほしい旨を伝えた。さらに、当該取引先との取引状況(債権債務、未履行の個別契約の有無等)をまとめてもらうよう依頼した。

電話での指示を終えたあと、湊は乾に口頭で報告した。乾は、湊に1点追加で確認するように指示した。

「その取引先との契約関係を絶つことができるかどうか、契約面、実態面からも調べておいてくれないかしら。おそらく、あの部署の状況では取引先を1社失うのは、結構な痛手になる可能性もある。取引関係をどうやってうまく終了させられるか、意外とてこずるかもしれない」

「そうですね。何だか営業マンの語り口が、たいしたことはないが念のために伝えておいた、というトーンを保とうという感じがひしひしと伝わってきましたよ。きっと、法務に話をした、という事実をもって、何事もなくすませよう、ということなのかもしれませんね」(続)

 

(次回は728日更新予定です)

 


【バックナンバー】

42話「コンプライアンス編(1)」

41話「新人教育編(23)」

40話「新人教育編(22)」

39話「新人教育編(21)」

38話「新人教育編(20)」

37話「新人教育編(19)」

36話「新人教育編(18)」

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18話「債権回収編

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13話「債権回収編

12話「債権回収編

11話「債権回収編

10話「債権回収編

9話「企業買収編 交渉の帰結」

8話「企業買収編 再会」

7話「企業買収編 乾美和登場」

6話「契約交渉

5話「契約交渉

4話「契約交渉

3話「契約交渉

2話「契約内容の検討」

1話「契約作成の依頼」

北島敬之 ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役

きたじま・たかゆき
ユニリーバ・ジャパン・ホールディングス株式会社/代表取締役
87年早稲田大学法学部卒業、日商岩井株式会社(現・双日株式会社)入社。ロンドン駐在、同社法務部部長補佐を務めた後、ジョンソン・エンド・ジョンソン株式会社法務部ディレクターを経て、06年ユニリーバ・ジャパン株式会社入社。12年4月より現職。國學院大學非常勤講師(国際取引法)。

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