[Focus]日本版フェアユース規定の導入でビジネスは変わるか?(3)

2009年6月12日|伊藤 真 弁護士・弁理士
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―― Googleのような新規ビジネスが妨げられませんか。
 少なくとも、日本にフェアユース規定がなく著作権を十分に制限することができなかったがゆえにGoogleのような企業が日本で生まれなかったという見方は間違いだと思います。今、日本にはフェアユース規定はありませんが、Googleは日本でも立派にビジネスをしていますよね。サーバーを日本に置かないだけで法的責任を免れられるという論理ではないでしょう。もしそうであれば日本企業もアメリカのサーバーを利用すればよかったのに、というだけの話になります。

―― ネット時代にはもっと権利制限が必要という考えもあります。
 これは、フェアユース導入の是非の議論とは別次元の、ネット法のような問題だと思います。
 そもそも、クリエーターにとっては、自らの作品を、どのような場で発表し、どのように流通させていくか、ということは極めて重大な事柄です。言い換えれば、そのような事柄も考え合わせて創作活動をしているものです。
 そのときに、「ネットという便利な情報伝達手段があり、そこに流通させて対価も支払ってあげるから、文句を言わずに俺たちに流通させろ。それが、IT産業の発展や広く著作物に接する機会を人々に対して与えるという意味でも望ましいことなのだから。」などという論理は、クリエイターの意思・意図を無視する極めて乱暴な議論です。ネット事業者は、流通させたい著作物などを自ら創作して流通させたり、そのような流通を希望する人たちの著作物を募って流通させればよいのであって、クリエイターの思いを無視してまで流通させてよいわけではありません。ネットだから、ネット時代だから、ということで安易に著作物の取り扱いを変えてよいものではありません。
 今はネットによって「1億総クリエイター」時代になったとも言われていますが、果たしてそうでしょうか。インターネットが普及したからといって、漫画でも音楽でも、作者の作品に対する思いが変わったわけではありませんし、新たな著作物創作の労苦やコストも大きく変わったわけではありません。劇的に変わったのは著作物の流通コストです。流通革命であってクリエイト革命ではないと考えています。
 ですから、著作権法は他人の著作物を流通させてお金を稼ぐビジネスから、著作者・著作権者を守るという意味を持ってはいますが、新たなオリジナルの著作物を作ろうとしている人の足は引っ張ってはいません。問題の切り分けが曖昧になっている部分にややミスリーディングな議論が起きていると感じています。
 もちろん、権利者不明の場合や共同著作物の場合における利用促進といった問題に取り組む必要があるとは思います。良い作品はみんなで楽しまないともったいないという心情もわからなくはないのですが、他人に一方的に使われることを望まない方、芸術的な文脈での使われ方でなければいやだというように流通のされ方も自らコントロールしたいという価値観の方が依然たくさんいるのも事実です。
 インターネットによって著作物流通の選択肢は増え、そのコストも劇的に変化して、「1億総発信者」時代にはなりましたが、新しいものをクリエイトするためのハードルに変化はありませんし、著作物に対する著作者・著作権者の思いが変わったわけではありません。ネット時代だから、「ネットにおける著作物の利用については、これまでよりもクリエイターの権利を制限すべき」ということであれば、それはおかしなことだと思います。

[Business Law Journal 2009年1月号掲載]

伊藤 真 弁護士・弁理士

いとう・まこと
86年弁護士登録。87年弁理士登録。日弁連知的財産政策推進本部委員、著作権法学会理事等を務めている。

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